忘れてた。
いつこのブログを登録したかも覚えていないけど、たぶん3年以上は前なのかな。
初めての投稿は恥ずかしすぎて消しました。彼氏がいた当時、はま寿司デートを繰り返していたことを思い出した。
結婚する未来が見えなくて、お別れしたなぁ。
たぶん、あれから3年くらい経ち。
今は転職して地元を離れて、なんとか生活してる。30歳にもなった。あれだけ、30歳までに転職したいと思って、ギリギリ叶えられてよかった。
同僚の方も優しい。野菜もたくさんいただける。ありがたい。
最初は地元を離れる寂しさが襲ってたけど、大学時代に親元を離れてアパートで暮らしていた友達が18.19歳で同じ気持ちを体験してたと思うと、頑張らなくちゃと思った。
家族のことももちろん心配。
それ以上に気掛かりだったのが、隣のおじいちゃん。今は93歳。
わたしが去年、東京に転職するかもと言ったら泣いていた。やっぱりやめたよ、と言ったら、安心したと言って泣いていた。
東京ではないけど、やっぱり転職することにした、と言ったら、良かったねと言って泣きながら送り出してくれたおじいちゃん。
今もなんとか、元気で一人暮らししてる。電話でちょいちょい様子聞いてるけど、一気に老いてなくてよかった。
だけど、年齢もあって、毎回帰省のたびに「これで会うの最後かもなぁ」って気持ちが湧いちゃって、泣いちゃう。
いつも、隣のおじいちゃんがそばにいてくれて、物理的に離れてても、また帰ったときに一緒にお寿司屋さん行こうとか。今度はわたしがご馳走してあげようとか。
そういうことを思いながら、次の帰省まで慣れない土地で頑張ってます。
だからこそ、いなくなったとき。
隣のおじいちゃんが、帰省しても会えない場所に行ってしまったとき。
もう、コーヒーを淹れてもらえないとき。
一緒にお寿司を食べに行かないとわかったとき。
好きなせんべいや、どらやきを買って半分ずつ分けられないとき。
受け入れられる?
血のつながりはないし、家族でもないけど、
隣のおじいちゃんがわたしを大切にしてくれた以上に、わたしも大事で大好きで。
なぜこの人が93歳なの。わたしの寿命の30年あげるから、あと10年長生きして。
そう思う。
心の準備ができない。それとも、しなくていい?
実の祖父母が亡くなったときも誰よりも泣いた気がする。けれど、隣のおじいちゃんのように、2人で出掛けてっていうことはなかった。いろんなものを食べに行って、色濃い思い出がたくさんで。彼氏がいたとき、正直彼氏よりも隣のおじいちゃんとの外出を優先してた。
それくらい、大事な人。
コロナ禍のとき、「この人が入院したら、わたしは家族じゃないから面会できないんだろうなぁ」とふいに感じて、泣いた記憶がある。
入院することはなかったけど、一度自転車に乗っていて転んで、わたしが病院に連れて行ったことがあった。
怖かった。おじいちゃんの生活が変わることに、離れるかもしれないことに。
怪我は大したことなくて、在宅の生活を続けられているけれど、いつまた同じようなことが起こるかわからない。
わたしが地元を離れた今、感じるのは、多少は自分への義務になっていたのかな、と。傲慢なことだけど、「隣のおじいちゃんのことはわたしが見てあげなくちゃ」とか、そういう気もちがあったんだと思う。
毎日のように会えない今、わたしができることは定期的に帰省して、元気な姿を見せて、お土産話をしながら一緒に出かけて、っていうそれくらいしかない。
本当は、結婚して、おじいちゃんを呼んで、友人代表でスピーチをしてもらいたい。子どもが産まれたら、抱っこしてもらいたい。
なんて、彼氏もいないくせに、そんなことばかり考えるのだけど。
きっと、近いうちに隣のおじいちゃんと話せない日が来る。
これからはいろんなエピソードを書きながら、隣のおじいちゃんとの思い出をより濃く、残していけたらいいなと思います。
2024.1.6